ある民間放送

「そうです。」と云うわけなのである。 この間の放送と云えば、ある民間放送で、女房といっしょに録音放送をしたが、それは午後三時の「生活を見つめて」とかいうのであった。ぼくはすでにこれまでも、「朝の訪問」を二度ばかりと、てい談だの、随想だのその他で、録音放送の経験を持っていたのであるが、女房といっしょの「生活を見つめて」の放送ほど、苦労したことはかつてなかったのである。それはとにかく、ぼくは、カメラマン氏に感心しないではいられなかった。というのは、写真ぎらいの女房を、カメラの前に立たせることが出来たのかとおもったからである。「よくうつさせましたね。」「いやだとおっしゃったんですけれど、御無理をお願いして、庭におりていただいて。」カメラマン氏はそう云ってから、「でも雑誌に出すことについては、先生の御承諾をとのお約束で。」と云った。女房としては、一応、亭主の顔を立てたつもりで云ったのであろうが、ぼくにとっては、女房さえカメラにおさまってしまえば、雑誌への掲載を拒む理由はなにもなかったのである。それほど、女房は、カメラの前に立つことを、従来は拒みつづけて来たのであった。時に、訪ねて来る人が、カメラでも持っていると、もうそれだけでも落ちつかずにそわそわしている方で、そんなとき、折角だからうつしてもらったらどうかとすすめると、「私はいいです。」と云うのである。そして、ぼくも、それ以上はカメラの前に立つことを、女房にはすすめないことにしているのである。と云うのは、これまでの経験で、それ以上すすめると、ぼくが困るからなのである。「こんな恰好では恥ずかしくて。」と云う。ぼくの考えでは、ふだんぎのまま、多少のつぎはぎはあるにしても、そんなもの恥ずかしがるようでは、なんのために詩人の女房なのかとおもわないではないのであるが、カメラというものは、女房にとって晴れの舞台に見えるのか、「着物一枚も買ってやれないくせになにが写真ですか。」と来て、カメラのためにこちらが迷惑しなくてはならないのである。そういう女房を、カメラマン氏がうつして来たというのだからふしぎなのであるが、どんな恰好でうつしたのか、カメラマン氏にきくわけにもいかなかったのである。 カメラマン氏は、ぼくにポーズをさせて、斜からも横からも、なんどもなんどもシャッターを切って帰った。「生活を見つめて」の放送が、どんな風にして週刊誌にとりあげられるのか多少は気にもかかることなのであった。 放送を頼まれたとき、放送局の係りの女性氏は「奥さんもごいっしょにお願いしたいんですが。」と云うので、簡単に引き受けはしたものの、果して、女房が承知するかどうか見当がつかなかった。むろん、女房をだますつもりではなかったのであるが、なだめすかすようにして女房を説き伏せたのである。「でも、なにをしゃべっていいかわからない。」と女房が云うのである。

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