チャンバーレンは早くより親しく同市の市政に参画し

チャンバーレンは早くより親しく同市の市政に参画し、幾多の改良改革を断行し、同市をして英国都市中の模範たらしめし恩人にして、数十万の市民は氏を神のごとく崇拝していたのである。さればロイド・ジョージのこの地に入らんとするの報一たび伝わるや、同地の新聞紙は一斉に筆を整えて獰猛《どうもう》に彼の攻撃を開始し「自称国賊《セルフコンフェッスド・ヱネミー》きたらんとす」「売国奴《トレーター》ロイド・ジョージ侵入せんとす」などいう挑発的文字をもって盛んに市民の反感を扇動し、広告隊は終日市中を練り歩きて「国王、政府及びチャンバーレン君を防衛するがため」忠実なるすべての市民は、ロイド・ジョージの演説会場たるタウン・ホール(市公会堂)に押し寄すべしなんど触れ回るという勢いで、彼いまだきたらざるに殺気はすでに市内にみなぎった。ここにおいてか警察部長《チーフコンステーブル》は万一をおもんぱかり、彼に向かってせつに集会を中止せんことを求めたけれども、元来彼ロイド・ジョージは、自ら反《かえり》みて縮《なお》からずんば褐《かつ》寛博《かんぱく》といえども吾《われ》惴《おそれ》ざらんや、自ら反みて縮くんば千万人といえども吾|往《ゆ》かんという流儀の豪傑なれば、なんじょうかかる事にひるむべき。いよいよ予定の日、予定の場所で大演説会を開くこととなった。そこで当日は警察官は総出となってタウン・ホールの界隈《かいわい》を警戒し、建物の内部にもおおぜいの警察官が潜伏して万一に備えた。しかしこれらの準備もついにすべて無効に帰した。ロイド・ジョージがその雄姿を演壇に現わすや否や、場内の聴衆はひそかに携えきたれる各種の飛び道具をば演壇目がけて一斉に放射し、場外の群衆もまたたけり狂うて、窓を破り扉《と》を押しのけて乱入すという勢いに、ロイド・ジョージはついに一語をも発するを得ず、演壇の後方なる一小室に難を避け警官の制帽制服を借りてにわかに変装し、わずかに会場を抜けいで、からくも一命を拾うたのであった。この時人民の重傷を負える者二十七名、即死一名、警官にして重傷をこうむりたる者また少なからざりしといえば、もってその騒擾《そうじょう》のいかにはなはだしかりしかを知りうると同時に、平生冷静沈着なる英人がかほどまでの騒動を惹起《ひきおこ》せしことは、その激昂《げきこう》の度のいかにはなはだしかりしをも知るに足ると思う。 エヴァスンは彼を評して「ロイド・ジョージ以上の militant peacemaker(戦闘的平和主張者)はかつて見たことがない。彼は南ア戦争当時において、ブーア人が英軍に反抗して戦いしと同じ激しさをもって、戦争に反抗して戦った」と言っておるが、実にそのとおりだと思う。

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 叔父《おじ》のリチャード・ロイドはその甥《おい》を理想的に育て上げることを神聖かつ最高の義務と信じて、これにその一身をささげた。このゆえにこの叔父によって育てられたるロイド・ジョージはその神聖かつ最高の義務と信ずるところに向かって、常にその一身をささげつつある。 四歳にして父をうしない、二人の孤《みなしご》が母を擁して相泣きし時、身をささげて彼らの急を救うた者は叔父のリチャード・ロイドであった。叔父はこれがために一生めとらず、彼らとともにつぶさに辛酸をなめ尽くした。その恩義、その慈愛は、ロイド・ジョージの五臓六腑《ごぞうろっぷ》にしみわたっている。彼が弱き者のしいたげらるるを見る時は、必ず常に、孺子《じゅし》をとらえて井中に投ぜんとするを目撃するがごときの感をなすも、ひっきょうこれがためである。 彼はまたこれがために、かつて南ア戦争に当たってはその同胞を敵として戦い、あえて身命の危うきを顧みず。のちあげられて大蔵大臣となるや、幾多の反対攻撃をものともせず、着々として多数貧民のためにさまざまの社会政策を実施し、「世界に政治家は多い。そうして彼らは世の認めてもって尊貴となし名誉となすところのものを得、富もまた彼らの上に積まれつつある。しかしながら、多くの人々が自分の居間に独座する時、ひそかに彼の利益のために祈り、自分ら自身さえ充分に享受していない幸福をば、ただ彼が身にあれかしとのみ念じつつあるがごとき、隠れたる懐《ゆか》しき同情者を有すること、ロイド・ジョージのごとく多きものはいまだかつてない」と言わるるに至りしも、またこれがためである。

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