貧乏退治の第一策

 私が貧乏退治の第一策というは以上のごときものである。思うにもしここまで読み続けられた読者があるならば、中には実につまらぬ夢のごときことを言うやつじゃと失望されたかたもあろうが、私は自叙伝の作者たるゼー・エス・ミルになろうて、それらの読者には、ひっきょうこの物語は自分らのために書かれたものではないのだと思って勘弁してください、と申すよりほかにしかたがない。しかも万一前後の所論につきこの物語の著者と多少感を同じゅうせらるる読者があるならば、それらの読者を相手に私は今少し述べたいことがある。 私は先に消費者としてまた生産者としての各個人の責任を述べ、ひいて経済と道徳との一致を説いたが、これにつけて思い出さるるは、中庸の「道は須臾《しゅゆ》も離る可《べ》からず、離る可きは道に非《あら》ざる也《なり》」の一句である。思うに世の実業界に活動するもの往々道徳をもって別世界の事となし、まれにこれを口にするも、わずかに功利の見地より信用の重んずべきを説くの類に過ぎずといえども、もし余の説くところにして幸いに大過なからんか、朝《あした》より夕《ゆうべ》に至るまで、※[#「尸+阿」、156-11]屎《あし》送尿《そうにょう》著衣《ちゃくい》喫飯《きっぱん》、生産消費いっさいの経済的活動を通じて、すべてこれ道ならざるはなく、経済の中に道徳あり、経済すなわち道徳にして、はたして道は須臾も離るべからず、離るべきは道にあらざることを知るに足る。余大学の業をおえ、もっぱら経済の学に志してより今に至って十有四年、ようやく近ごろ酔眼|朦朧《もうろう》として始めて這個《しゃこ》の消息を瞥見《べっけん》し得たるに似るがゆえに、すなわちこの物語に筆を執りいささか所懐の一端を伸ぶ。しかりといえども、この編もし過《あやま》りて専門学者の眼《まなこ》に触るることあらば、おそらく荒唐無稽《こうとうむけい》のそしりを免れざらんか。[#地から1字上げ](十二月二十五日)

       十三の三

 ありがたい事には、この物語も今日《こんにち》で無事に終わりを告げうることとなった。私は最後の一節に筆を執るに臨み、まず本紙(大阪朝日新聞)の編者が、休み休み書いたこの一学究の随筆のために、長く貴重なる紙面をさき与えられしことを深く感謝する。 さて私は最後に世界の平和について一言するであろう。思うに欧州の天地は今や大乱爆発して修羅《しゅら》のちまたと化しつつあるが、何人もこの大戦の真の当局者が英独二国なることを疑う者はあるまい。しからばなんのためのこの両国の葛藤《かっとう》ぞというに、ひっきょうは経済上における利害の衝突、これが両国不和の根本的原因である。

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