消費者責任論

       十三の一

 私はすでに前回の末尾において、富者はその財をもって公に奉ずるの覚悟がなくてはならぬと言ったが、かく言うことにおいて、私の話はすでに消費者責任論より生産者責任論に移ったわけである。 私はかつて、需要は本《もと》で生産は末であるから、われわれがもし需要さえ中止したならば、ぜいたく品の生産はこれに伴うて自然に中止せられ、その結果必然的に生活必要品の供給は豊かになり、貧乏も始めて世の中から跡を絶つに至るであろうと述べた。それゆえ私は消費者――ことに富者――に向かってぜいたくの廃止を説いたのであった。しかしさらに考えてみるといかに需要はあっても、もし生産者においていっさいのぜいたく品を作り出さぬという覚悟を立つるならば、それでも目的は達し得らるべきはずである。 世間にはいくらでも需要のある品物で、それを作って売り出せば、たやすく一掴《いっかく》千金の金もうけができるにもかかわらず、いやしくもその品物が天下の人々のためにならぬ性質のものたる以上、世の実業家は捨ててこれを顧みぬという事であれば、私の言うがごとき現代経済組織の弊所もこれがため匡正《きょうせい》せらるること少なからざるべしと思う。それゆえ私は論を移して、消費者責任論より生産者責任論に進むのである。 私は今具体的に商品や商売の名を指摘して、多少にても他人の営業の邪魔をする危険を避けるつもりであるが、ただ一つ、今年の夏四国に遊んだおり、友人から聞いた次の話だけ、わずかにここに挿入《そうにゅう》することを許されたいものだと思う。 このごろ婦女子の間に化粧品の需要せらるることはたいしたもので、これを数十年前に比ぶれば実に今昔の感に堪えざる次第であるが、ある日のこと、自分は所用あって田舎町《いなかまち》の雑貨店に立ち寄っていると、一人の百姓娘が美顔用の化粧品を買いに来た。見ていると、小僧はだんだんに高い品物を持ち出して来て、なかんずく値の最も高いのを指さしながら、これは舶来品だから無論いちばんよくききますなどとしゃべっていたが、その田舎娘はとうとういちばん高い化粧品を買って帰った。いわゆる夏日は流汗し冬日は亀手《きしゅ》する底《てい》の百姓の娘が美顔料など買って行く愚かさもさることながら、私はかかる貧乏人の無知なる女を相手に高価なぜいたく品を売り付けて金もうけすることも、ずいぶん罪の深い仕事だと感じた。

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