人はパンなくして生くるあたわず

 しかしながら、丈夫な土台を造らなければ立派な家はできぬということはほんとうであっても、丈夫な土台さえできたならば立派な家が必ずできるというわけのものではない。人はパンなくして生くるあたわず、しかしながら人はパンのみにて生くる者にもあらず。それゆえ孟子は、恒産なくんば因って恒心なしとは言ったが、恒産ある者は必ず恒心ありとは言っておらぬ。否孟子は、恒産なくんば因って恒心なしということを言い出す前に、「民の若《ごと》きは則《すなわ》ち」と付け加えており、なおその前に「恒産なくして恒心ある者は惟《ただ》士のみ能《よ》くするを為《な》す」と言っておる。しかして世の教育に従事する者の任務とするところは、社会の事情、周囲の風潮はいかようであっても、それに打ち勝ちそれを超越して、孟子のいわゆる「恒産なくして恒心ある」ところの「士」なるものを造り出すにある。 実はそういう人間が出て社会を指導して行かねば、社会の制度組織も容易に変わらず、またいかに社会の制度や組織が変わったとて、到底理想の社会を実現することはできぬと同時に、そういう人間さえ輩出するならば、たとい社会の制度組織は今日のままであろうとも、確かに立派な社会を実現することができて、貧乏根絶というがごとき問題も直ちに解決されてしまうのである。この意味において、社会いっさいの問題は皆人の問題である。 さて論じきたってついに問題を人に帰するに至らば、私の議論はすでに社会問題解決の第三策を終えて、まさに第一策に入ったわけである。[#地から1字上げ](十二月十二日)

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